2021年08月15日12:48夏草
 今日も日当直中です。24時間ぼっちは辛いです。どうせたいしたコールはないんだから近くまでの外出OKにしてくれたらいいのに…(こらこら)。
 思った以上に感動したオリンピックも終わりまして、そろそろ夏の終わりの始まりを感じています。「夏草や 兵どもが 夢の跡」ですかね。オリンピックにはボランティア医師がたくさん参加されたとのことですが、こんな感動が得られるなら私も参加してその躍動を身近に感じたかったです。お金という対価がなくても参加された医師の方々の気持ちが分かりました。精神科も患者さんはだいぶ高齢化してますから、おじいちゃん、おばあちゃんばかり相手にしていると、オリンピックで身体能力を極限まで高め、一つのスポーツを極めた若い人たちと関われることは非常に羨ましく思います。実際には面白い、楽しいことばかりではないでしょうから、「隣の芝が青く見えている」のでしょうけど。
 今当直しているこの病院は高齢慢性期の患者さんが多く、その医療のために大量の医療資源(物品や薬や労働力)とお金が日々費やされています。働いているたくさんの若い人たちは汗水垂らして高齢者を看護・介護をし、それでお給料を得て生計を営んでいる構図ですが、残念ながら高齢慢性期の患者さんたち、回復する見込みがほとんどありません。懸命の看護虚しく、亡くなっていく方が多いです。つまり先ほど述べた医療資源やお金が、患者さんの社会復帰後の社会貢献という意味では生産性のない形で終わってしまう事が多く、だからといって命を見捨ててよいことにはならないし、でも医療資源が無限にあるわけでもないし、…ジレンマを抱えています。当院では胃瘻造設する方も多く、それを否定するわけではないですが、本人がそこまで望んでいないのであればケアが少し手厚すぎるかもしれません。さっき回診に行きましたら、やむを得ず拘束しているある患者さんから「先生、殺してください」と何度もお願いされました。ケアが手厚くてもなお苦しんでおられるんですね。手厚くすれば延命はできるでしょうが、当の本人がそこまでを望んでいないのです。
 私はただぼっちで24時間ここに居るのが辛いだけではなく、そういった患者さんたちを直視するのが辛いです。自分が医師に向いていないのか、までは分かりませんが、ここの病院で勤務することには向いていません。やっぱり病院は患者さんには「先生、助けてください」とお願いされて、それに応える形で懸命に治療をする、という形があるべきでしょう。4月からずっと、こうあるべきではないと思うことが続き、私自身の環境調整を考えています。精神科という領域への興味がなくなった訳ではありませんが、一旦ここから離れて修行したいと考えています。来年度から変わるなら決断まであまり時間はありません。実は今月くらいから水面下で動いているのですが、数ヶ月後の自分が悩んだ結果どういう判断を下しているか、楽しみにしています。自分を応援しています。



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