2022年12月11日15:21感謝
 2016年2月から始めたこのブログももうすぐ7年です。最初は張り切って多い月で1ヶ月に14回も投稿していたのですが、それがだんだん少なくなって、2018年5月つまり国試の勉強を始めたくらいからほぼ月1回ペースとなっていました。≒7年間で合計178回の投稿でした。累計訪問者数は現時点でなんと259623人(パソコンの方は79372人)。徳島市の人口くらいです。ブログを始めた当初はグーグルから広告収入もたまにもらえてまして、1回8000円くらいを4回くらいもらえたかなぁ。今は訪問者数が少なくなったのと広告収入の仕組みが複雑になってもうよく分からんようになりまして広告はできるだけなしにしています。訪問者は全盛期は1日100人以上いましたが、今は10人台、少ないときは1桁です。
 ブログを書き始めた当初は、医学部再受験で死ぬほど頑張った自分の記録をどこかに残したかったという思いがありました。自分で言うのもあれですがホントによく頑張りました。まだ勉強日記が残っていますが、1日13.5時間とか勉強していて、アルバイトで貧しい生活をしながら受かるかどうかも分からない状態で孤独で出口の見えない壮絶な戦いをしていた自分の記録を見ると涙が出てきそうになります。よく「お医者さんって大変でしょう?」とか聞かれますが、はっきり言って医学部再受験の時の方が大変でした。その甲斐あって今医者をさせて頂けているのですが、今がちょっとぬくぬくすぎて当時の自分に対して申し訳なさがあり、もう少し厳しい環境に身を置かなければと思わされます。厳しいと言っても例えば大学院に入学して論文書いたりとか、普通の医者としては当たり前のことを現状ではできていないので普通の医者になれるよう常にチャレンジし続けたいと思っています。
 そこまで努力をしても簡単には医学部に合格できなかったため結果的には3回も受験しました。そこで増えた医学部受験の、特に再受験生向けの情報を他の再受験生へ伝えられたらいいなという思いもありました。当時、どの大学に再受験生が多いというのもだいたい把握してましたし、同じ境遇のおじちゃんたちをネットで見つけて連絡取り合ったりしてました。結局今となってはほとんど音信不通ですがあのおじちゃんたちはどうなったのかなぁ。日本のどこかで医者してるのかなぁ。当時はmixiやってる人が多くて、その中に「医学部再受験生」などというグループがいくつかあって同士を見つけやすったのです。
 しかし医学部再受験についてはもう提供できるものはすべて出し尽くしました。また私が受かった年は2013年でもうすぐ10年前となりますので情報はあってももう古いです。7年の間に無事医学部を卒業し、医師国家試験に合格し、初期研修も終わって、専門医研修も折り返し地点を越えました。勤務がそんなに忙しいわけではないのですが優先順位的にブログを書く時間を捻出できなくなってきていて、今は月1回の慢性期病院の日直の時に書いてるのみで、その日直勤務も2022年12月の今日で契約が終わります。

 近況ですが、結婚を真剣に考えていた20個年下の若い彼女とはお別れし、故郷の両親もいつまでも元気でいるものと思っていたら2人とも結構ガタが来てるようで、特に父親の方は大動脈解離で救急搬送もされました。私は今まで好き勝手に生きてきましたが親もいつまでもいるわけではないので、親との時間も大切にしないとと思うようになりました。純粋に1人暮らしももう寂しくなってきました。実家に帰ると天使のようなわんちゃんが待ってくれているので実家に帰るのがいつも楽しみです。実家にいるときはずっとそばにいてくれて、寝るときも一緒です笑 特に父親の方はお別れの日が突然やってきそうな予感がしていて、本当は来年度からでも戻りたいところですが、まだ専門医研修があと1年残っているのでもう1年はここで頑張って1つの形を作るのがベターだと思います。去年の今頃は地元の総合診療科への転科を考えていたにもかかわらず結婚を優先してそれを取りやめてここに残ったのに、結局どちらもポシャってしまいました。切ないなぁ…。人生どうなるか分からんもんです。産業医の方も少なくとも2年はやって欲しいと言われているのと、産業医やりたい人いっぱいいるはずなのですがなかなか後任が見つからないためしばらく続けることにします。ということで結局は来年度もこの場所から完全に縁を切ることはなさそうです。今ここにいるのは、10年前にセンター試験受験後、医学部に受かるなら日本全国どこでも良いと予備校の判定結果と必死ににらめっこして受けた大学があったからであって、もともと縁もゆかりもなかった場所です。初期研修の2年は除いてここでもう8年、人生の10分の1を過ごしてしまいました。医学部に入ってからも勉強ばかりで他を楽しむ余裕の少なかったおっさんには辛い思い出の方が多い場所でもあります。結婚のことや親との時間など色んな事を犠牲にしてここまで進んできて、振り返れば人生これで良かったのかなと思うこともありますが、今となってはもうよしとしましょう。

 ここでこのブログとはしばらくお別れです。どこにどれくらいおられるのか分かりませんが今まで読んで下さっていた方、ありがとうございました。お互い健康に気をつけて過ごしましょう。そしていつかまたどこかでお会いしましょう。



2022年11月13日15:05幸せ
 こんにちは。
 今日は太陽は隠れていますが寒くもなく暑くもなくちょうど良いです。私は今日も日直ですが当直室の窓を開けっ放しで過ごしています。このくらいの気温が1年続いたらいいなとは思いますが四季や気温差があるのもまた日本の良さですね。

 前々から話は出ていたのですが、来年1月から母校の大学病院に異動することになりました。本当はもう少しキリのよいところで10月からの予定でしたが、精神科のベッドがコロナ病床にとられていて症例が少ないため延期になっていました。延期しても結局はコロナが収束せずベッドは減ったままですけどね汗 しかし実は異動目前に迫った今でもなお契約を交わせていない状況です汗 秘書さんが手続きにもたもたしていたことも原因ですが、それにしても大学病院は雇用にあたっての提出書類が多すぎる!母校なので入試の際に提出した私の公的証書が残っているはずですが、例えば卒業証明書はまた最初からです。最初からというのはなんと高校卒業から(-_-;) 高校に続いて1回目の大学、大学院、と私の場合は3カ所から卒業証明書と成績証明書を出せと。いやいや高校なんて一体何十年前のことだと思います笑?平日に地元に帰って高校まで取りにいかないといけないんですか…。大学入試の時に高校に行って発行してもらった記憶がありますが、それを提出して大学を受験して、合格して入学手続きをして、卒業してはじめて母校の大学の卒業証明書があるわけだから、最後のだけではだめなんですかね。高校卒業がもし嘘だったとして、その後すべての関門をくぐり抜けて医者まで到達している人がいるとしたら逆にすごすぎですよ。

 それに伴い、自分の受け持ちの外来患者さんに異動のことと、他の先生に引き継がせて頂きたいことをお伝えしたところ、仕方ないけど代わってほしくない、私にずっと診ていて欲しいなどと、有り難いお言葉を今のところ全員から頂戴しました。いつもは無表情でおとなしいうつ病の患者さんもこのときばかりはスイッチが入ったかのように迫ってこられて驚きました。これは精神科医になって一番嬉しかった瞬間だったかもしれません。しかも同じ外来日に何人にも言われたので、嬉しい瞬間が太鼓の達人のコンボのように1日の中で何度も立て続けに出現するという夢のような時間を過ごし、私、泣きそうになるくらいには感激いたしました。大学病院はちょっと通えるほどの近い距離ではないのですが、それでも病院代わってもいいから私についていくと言ってくれた患者さんも何人もおられました。精神科は他の診療科以上に患者さんとの繋がりが強いということを改めて感じました。私は患者さんたちにはそれぞれ幸せな人生を送るお手伝いをしたいという気持ちで今まで診察に臨んできたつもりですが、最後に自分が患者さんから幸せをもらえるとは思いもしませんでした。しかし今回はたった2年間で積み上げてきた患者さんたちですから、もしこの地で精神科医を10年も続けていたら患者の数も多くなって1人1人との関係も濃くなるから、後ろ髪を引かれて遠くへの異動などはもうできなくなるのではないでしょうか。

 最近愚痴ばかりでしたがささやかな幸せがあることもお伝えできて良かったです。今まで愚痴は吐いていても患者さんにはちゃんと誠意をもって接していましたのでそのご褒美かもしれません(^_^) この幸せにまだ浸っていたいので今回は自分で言うのも許して下さい(o_ _)o


 さてこの慢性期病院の月1回の日直は予定通り2022年12月で正式に契約終了となりました。ブログも予定通り次回で終了見込みですのであと1回おつきあい下さい。



2022年10月10日14:15聖人君子
 こんにちは。今日も日直中です。今日の午前中は珍しく慌ただしくて、立て続けに2名看取りました。どちらも90代で1人は大正生まれでした。大正ってすごいな。ん?もしかしたら当院にはいませんがどこかの病院には明治生まれがまだおられるんでしょうね。明治、大正、昭和、平成、令和と5つの時代を見てきたんですね。生活や環境あらゆるものが随分変わったんでしょう。
 しかしスタッフ達も看取りは慣れているはずなのに、いざレートが下がり始めると焦って当直医のピッチを鳴らしてきて、「先生、早く来て下さい!!」と言ってこられます。行きますよ、行きますけど行ったところでできる医療行為はありません。DNARはもちろんですが、このくらいの年齢になると老いが進行しすぎていて素人目で見ても分かるくらいには何をやっても救命は不可能です。すべての生き物は死にます。死ぬというと悪いイメージがありますが、命の営みの1つで自然のことです。良い悪いではないのですがいざ死が迫っているのを見ると何とかしなきゃという焦りになるんでしょうか。

 先日、主治医が急遽休みのためその日1日の代診をお願いされました。代診というのは難しいですね。すべての初診患者をそれぞれ5分で診察しろと言われているようなものです。その患者のカルテを遡って読み返してみても、経過が長すぎて読み切れないし、ほぼ主治医しか読まない体で書かれているため患者の概要が分かる記事もなく、情報不十分のまま初対面の患者に対峙します。本当はあまり喋りたくはないのですが無言では診察にならないのでいくつか質問しなるべく患者に喋らせて無難に捌いておりました。無難に・・・、のつもりでしたがそれでもたった1人地雷を踏んでしまいました。私のちょっとした質問だけで泣き始め、落ち着くまで一旦そっとしておこうと別スタッフにお願いし別室を案内していたところ、そのスタッフもまた過剰に優しくなだめすぎたためもあると思いますが、それがむしろますます感情を高ぶらせ、幼稚園児のように大声を出すようになりました。その後数分ですぐ落ち着いて帰宅していきましたが、この患者さんはよく癇癪起こす方なんですよ、というフォローを看護師から頂いている中、その日たまたま来ていた聖人君子みたいな心理士が患者を傷つけたと私を責めてこられました。確かに私のせいでこのようなことになり、傷つけてしまったことは謝ると、そして内省しより疾病理解・患者理解に努めるとその心理士に伝えたのですがなかなか納得してもらえず、その心理士と30分ほどやり合って疲れました。私は今回の件に限らず、もし意図せずとも患者を傷つけてしまった場合は本当に申し訳なく思います。内省し次に活かす努力をします。ただ今回のようなことは対人感情のことなのでどれだけ気をつけていても誰でもいつかはまた起こりえることで、そこまで強く責められることかなと。しかも代診で信頼関係ができていない中で診察するという難しいシチュエーションで完璧は求められませんよ。このようなことも想定内にしておいてもらわないと代診は引き受けられません。

 ・・・と今回も愚痴になってしまいました。もっとポジティブな記事を書きたいんですが精神科ってあんまりないかもしれません。いや、本当はいっぱいあるけど私がなかなか見つけられないのかもしれません。まぁいいや。今は自分にも内的葛藤がありますからね、この際いっぱい悩みます(..;)



2022年09月18日14:21阿呆
 こんにちは。
 せっかくのお休みですが今日も日直のお仕事をしています。

 寝当直の日直版ですので身体的には負担のない仕事ですけれども、またこの暑い中直射日光を浴びながら交通整理をしている方、エアコンなんてありえない蒸し風呂のような環境で工場勤務をしている方、寝不足で事故の危険と隣り合わせの中神経すり減らして遠距離を運転しているトラックドライバーの方、またその他大勢の方々よりもおそらく高額の日給を頂いてはいるんですけれども、そろそろ辞めどきかなと思っております。何を贅沢なことを言っているのかと、自分で自分を叱りそうになるんですけれども、このお仕事は単に自分の時間の切り売りに過ぎず、医師としての学びや成長があまりありません。自分が70代か80代のおじいちゃんであればまたやってもいいかなとも思いますが、今はしっかり専門研修をして1つの専門家となるべく頑張る時でしょう。医師免許を持っているだけで世間よりだいぶ高額の時給を頂けていますが、それに満足しているとやぶ医者へ一直線です。専門家としての自分の価値をもっと高める時間を過ごすべきと思います。

 私は医者になるために、いやそれ以前に医学部に入るためだけでも相当の時間や労力を使い、年齢も重ねました。もちろんお金もいっぱい使いました。社会人時代に貯めたお金は底をつき、残ったのは1回目の大学や大学院時代に借りた奨学金で、医学生になったときは借金を抱えてマイナスからのスタートでした。医学生時代も親からの支援などはありませんでしたのでさらに奨学金を借り、借金を重ねて泣きそうなくらいに膨らみましたが、医者になれたら返せるかなと、自分の過去の借金精算の意味でも必ず医師国家試験に合格しなければと強い意志を持ち続けられた側面はあります。初期研修の病院選びも、自分の研修も大事でしたが借金返済もあったため給料が高いところを全国探しました。専門医研修に入っても今日のように暇さえあればバイトをしてきました。今医師4年目で、奨学金の返済はまだいっぱい残っていますけれども、このまま医師を続けていけば無理のない返済額でも10年くらいかければ完済できるだろうという目処がようやくたつようになってきました。今は物欲もあまりなく平凡な生活で満足するため、バイトバイトと奔走しなくても生活は十分成立します。
 そんな中で先日、そんなに疲れてはいなかったと思いますが、バイトが多すぎたかな、完全オフの日というのがあまりなく、日常生活もどこかせっかちになっていたものと推測しますが、車でしょうもない単独事故を起こしてしまいました。最近レジの待ち時間すら気持ちに余裕がなかったのは気づいていましたし、一方では加齢もあり注意力低下している自分には気づかないで行動していた結果です。保険は使えず修理代が数十万ほどかかってしまいました。時間に追われてバイトして、せっかくお金を稼いでも結局こんな不注意で大きな出費が発生してしまって、なんかホントに阿呆らしくなりました。他人を巻き込まなかったのが幸いでした。

 このブログも医学部再受験の話題から始まり、医学生、研修医、専攻医に渡って6年以上続けてきましたけれども、そろそろネタも尽きてきまして最近ではこの日直の日に合わせて月1回の更新をするのがやっとです。ブログ書くのって意外と時間かかりますからね。この病院には年内の辞意を伝えてあるので、この日直業務が終わるのが恐らく12月になるでしょうから、そこを一つの終着地点として設定します。

 目の前の生活費をがむしゃらになって稼ぐ必要がないくらいには自分を確立できたので、今後は自分のやりたいことをやる人生にしたいと思います。このままのレールに乗ってなるべく無難に生きていくことも可能ですが、人生の残り時間も少ないですし、自分が後悔しない人生を選んでいきたいです。この年齢になってもなお、自分の人生を好きに選べることを幸せに思います。



2022年08月21日21:24渇望
 今日は日直なのでいつものようにブログ書いたりと当直室でのんびり過ごしています。本当は勉強でもすれば良いのですが、仕事中は勉強しようというモチベーションがなかなか沸いてきません。しかし休みで予定もなかった昨日は暇すぎて久々ガチで勉強しました。暇すぎて勉強するというノリは今まで味わったことがないですが、人間暇すぎると何かしなきゃという変な使命感が沸いてくるんですかね。医学部再受験のときや、医学生のときは基本的に勉強ばかりで暇すぎるということはなかったように思います。私は再試験にもよくひっかかってましたから常に試験に追われていましたね。そういえば医学部再受験や医学部の6年生の時なんか彼女とのデートの時間すら惜しくなって途中で切り上げてくることも多かったです。今思えば甘い時間を存分に楽しんでおけば良かったなぁと思いますがそのときの精神状態ではそういう余裕もなく、そんな甘い誘惑をきっぱり振り切れるほどに何かに打ち込めていたんだなあと自分を褒めてやりたいです。私は格闘家の武尊が大好きなのですが、彼は強いばかりか心も体もイケメンです。そんな彼でも格闘家としてトップレベルを維持していく過程では恋人とうまくいくことはなかったようで、その気持ち分かります。人間、本当はマルチタスクでやっていかないといけないことは分かりますが私はそんな器用には生きていけないので。今はだいぶ落ちぶれてしまいまして、早く彼女に甘えたいなぁとか、いい年したおっさんがそんなことばかり考えるようになってしまって…、すっかりなよった自分があぁ情けない。過去に頑張って貯めた貯金を切り崩しながら生活してる感じなので、また何か打ち込めるものが見つかるかな。でもどうせ再来年には専門医の試験もあるから勉強せざるを得なくなるかな。そんなことを考えたりして生きてますが、根底には今の生活にやや物足りなさを感じているんでしょうね。もともと根がどMなのでいつも何か胸が高まるものを渇望してしまうのはしょうがないですね笑 

2022年07月24日23:18高齢化

暑くなりました。これで人生一体何十回目の夏なんだと思ったその時ふと、あれ、自分はもう逆にあと40回くらいしかこの夏を経験できないのではないかと思いました。平均寿命を考えると人生折り返し地点を迎え、人生の残り時間をいかに有意義に過ごすかを考えないとなぁと。まぁもう充分ですけどね。自分のやりたいことはだいたいやってきました。勉強もスポーツもそれなりにやってきたし、淡い恋をして切ない思いも何度かは経験できましたし、好きな仕事をしながら海外で暮らしたこともあるし、念願の医者にもなれました。医者としてはまだこれからですし、せっかく自分に与えられた特権でもありますから自分の人生の残り時間を患者さんのために使おうかなぁとは思います。家族ができればまた生きがいができるかもしれませんが、うちは飲んだくれですぐブチ切れる父と父至上主義に洗脳された母で幼少時より両親からの愛情を感じることがあまりなかったので、家族愛とはどんなものか想像がつきません。

 

さて精神科医をやっていますと、家族との関係を悩んだり後悔してる患者さん多いです。例えばアルコール依存、ギャンブル依存などで家庭を壊して、自業自得なんですが、家族に見放された後一人で生きてきて老いて孤独な人たち。家族にはもう会ってもらえないですが本当は会いたいようです。そして病状落ち着けば施設送りになります。その施設でいよいよ衰弱となった場合の最終的に行き着くターミナル病院のようなところに月1回お願いされてアルバイトに行っています。回診に行くと、衰弱してても体を動かそうとするんですかね、ベルトを巻きつけられ身体拘束もされています。1日中することもないので拘束されたまま寝ているだけです。そんな患者さんが1部屋に4人ずつ横たわっていて、フロア丸ごとそんな光景が広がっています。もう私には地獄に見えますね。看護師さんたちも大変です。仕事のメインは病棟を回ってのおむつ交換になっています。私が看護師なら別の病院で働きます。私が院長ならその看護師さんたちには特別手当を支給します。このバイトは楽なんですけど、もうお金にそこまで困っているわけでもないですし、医師として成長できるかという点では「?」なので近々辞めます。そういう事実にも目を背けてはいけないんでしょうけど、なんかこちらまで心が暗くなります。

 

総合診療科も、いや小児科と産科以外はすべての科が超高齢化しています。総合病院で患者一覧を見ましたがほとんどがおじいちゃんおばあちゃんです。そりゃ若い人はあんまり病気にならんでしょうけど、それにしてもと。70代が若いなぁと思えるほどですからね笑 そんな私も数十年後にはその仲間入りですけどね笑

 



2022年06月02日21:01理不尽
 精神科で診療していると社会制度に理不尽さを感じることがあります。
 あるSCの患者さん、以前は一般就労できていたため貯金もそれなりにありましたが統合失調感情障害の発症にて医療保護入院。落ち着くのにちょっと時間はかかりましたが数週間で退院しました。しかしもう何回目かの発症だったため前職は退職することとなり、本人ももう一般は無理かなと障害者の就労継続支援のB型作業所で働くこととなりました。今「働く」と書きましたがB型というのはタオルの折りたたみなど単純な作業で、雇用契約とはならないため労働者ではなく建前上は施設の利用者ということになっています(A型の方は雇用契約を結び、時給も最低賃金以上は保証されています)。ですので給料がえげつない額となっています。聞いて驚いたのですが、ちゃんと朝から夕方まで週5回働いて(利用して?)も1ヶ月の給料が1万円くらいだそうです。それじゃ生活できないじゃないか。そうなんです。できません。住むところはグループホームという障害者の方が入れる住居があって、食費込みでも4万くらいで済むのでそこは格安なのですが、それでも収入が1万円では赤字です。障害基礎年金該当せず、生活保護を申請しようとしても貯金があるからダメだと。じゃあいっそのこと貯金を適当にギャンブルにでも使い込んでしまって障害がもっと進んでB型にすら頑張って行かない方が、生活保護を受けられたり障害基礎年金受給できたりするということになります。タオル折りが単純な作業と言っても、それを丸一日やるとそれはそれで大変な作業です。私ならたった数時間で飽きると思います。本人としてはそれを休まずに毎日一生懸命働いていたので、とてもかわいそうで、本人は最近診察のたびにその悩みを吐露するようになり、そのストレスでまた症状が再発しかねない状況です。今はせっかく貯めた貯金を崩しながら生活しており、底をつきたら生活保護となっていくのでしょうか。恩師が医師には3つの視点が大事だとおっしゃっていました。Medicalな視点、Academicな視点、それからSocialな視点。確かに症状改善して退院できてもその後幸せな生活を送れないといけませんから社会的なサポートも大事ですね。平等性を保たないといけないからそこは杓子定規なルールとなっているのでしょうけど、頑張っている人が報われないのはすっきりしません。そこはこちらも感情移入してしまいますね。


2022年05月14日17:27悩み
 人生の残り時間が少ないおっさんだというのに土日はぐーたらしてしまいます。せめてブログを更新しなければ…(..;)
 先月新年度が始まったばかりで異動した病院にもまだ慣れていないのですが、来年度どうするの?みたいな話が既に出ていて少し焦っています。来年度は大学病院での研修も可能なのですが、その場合は夏くらいまでに言わないと大学精神科で雇える医局員の定数確保などができなくなるというのです。私は総合診療を勉強したいという思いは変わらず来年度から地元に戻って転科しようかとも考え中なのですが、結婚問題もあるし、早いもので専門医研修もそろそろ折り返し地点を迎え、今年度が終わればあと1年で修了できるので、どうせなら来年度もう1年精神科で研修してしまった方が色々とすっきりはします。調べたところによると、ある科で専門医研修を修了した医師は他科で再度専門医研修を受ける際、プログラム制ではなくカリキュラム制を選べるとのこと。その違いをここで詳細に記述することはしませんが、カリキュラム制の方がかなり柔軟に研修できるんですね。自分としてもゆるゆる病院ばかりではなく大学病院でしっかり研修したい気持ちはあります。ただ大学病院で研修するとなると距離が遠いので引っ越ししなきゃいけないわ、遠距離恋愛になるわ、給料はだだ下がりだわ、でそこまでしてやるかということもあります。3年どっぷり精神科の世界に浸かってしまった後に総合診療を勉強したい気持ちがまだ残ってるかなぁ。そのときには結婚もしてて、家庭の時間も大事だしな~と言いながら新たな分野の勉強にチャレンジするより目先のQOLを優先するかもしれませんね。


 何の脈絡もありませんが、そういえば勤務先の病院に東大卒の研修医がいるんですが、話をしていたら医師国家試験に1回不合格だったと。ルシファーが同じく東大卒で国試5浪目で頑張っているとネットで見ましたが、ルシファーだけではなく東大といえども国試不合格者が毎年何人かいて、ちょっと不思議なんですよね。東大理三に入れる学力がある彼らが本気を出せば医師国家試験といえども楽勝なのではないかと思うんですが…。



2022年04月03日15:47新年度
 新年度が始まりました。私は4/1より総合病院の精神科へ異動となりました。今まで受け持っていた患者さんは他の先生に担当を変わってもらおうと思っていたんですが、こんな私でも慕って下さるため外来患者さんについては週1~2コマだけ元の病院に戻ってきて引き続き私がフォローしていくこととしました。まぁ私を慕ってくれているというのも少しはあるでしょうけど特に精神科では新たに別の医師とまた一から信頼関係を築いていくのは患者さんにとってかなり負担みたいです。その他、元の病院では日直や当直も続けますし、産業医が新たに2件始まります。それからコロナワクチンの接種のバイトの要請が絶え間なく続いていて、空いている日には入りますので今年度は色々掛け持ちする感じとなりました。
 知り合いの7年目くらいの医師の友人は医学とはまったく関係ない分野の起業をしたいと言って、今年度からは医師の常勤の仕事は一旦休止することとなりました。生活費については48時間連続の日当直というのを週2日だけやると。それで1回25万貰えるそうです。なんと週休がですよ、週休が5日で月100万とかすごすぎでしょ。私もそんなアルバイトだけの医師生活もありかなと思ったりもしますが、そんな生活ができるのも医師不足の地域やご時世ならではじゃないでしょうか。今は医学部定員もだいぶ増えていてそう遠くない将来に医師過剰になってきてそんな楽な生活はできなくなるでしょうから、今はその後も生き抜く力を身につけなければと思います。おっさんの私は先は長くないので医師過剰後の時代にはあんまり関係ないんですけどね(T-T)
 おっさんもね、気持ちは若いんですけど患者さんの検査データや薬の名前をなかなか覚えれなかったりと知識のキープが大変です。私と仲の良かった元同期のおっさん友達がいるんですが、今年も国試だめだったみたいで、本人の心情を察するに余りあり、声をかけるのも辛いです。私も死ぬ気で勉強してぎりぎり受かっただけなのでそいつと紙一重でしかなく、点数が取れないもどかしい気持ちもよく分かります。
 なんかまとまりのない文章となりましたが自分も周りの人も色々あるということですね。それぞれの人が新年度からその色々の道を歩んでいくんですね。本日はここでは桜が見事に満開です(^_^)



2022年03月06日12:56世界に一つだけの花
 早いもので専門医研修ももう1年が経ちます。医師になってからはもう3年経過し、来月から4年目となります。3年間で何が成長できたかなぁ。
 まず、患者にあんまりびびらなくなりました。研修医1年目は次はどんな患者さんが来るんだろうとドキドキしていました。当時は知識はあったけれども対応能力がありませんでしたから、何をどうしたらいいのか分かりませんでした。尿路結石とか脳梗塞とかそういうのはしょっちゅう見ましたし、救急では事故とかアナフィラキシーとか飛び降りとか様々ありましたし、精神科に来てからはリストカットとかODとかも見ましたけど、また来たか、くらいな感覚になりました。ただ今にも死にそうというのは別ですよ。その場にいる私がなんとかしないと死んでしまいますから自分の中でアドレナリンが出るのが分かります。滅多に遭遇しませんが、そういう場面こそ医師としての真価を問われますね。
 外来診察もスムーズにできるようになってきました(気がします)。研修医の時は患者さんにしどろもどろに対応して患者さんをだいぶ不安にさせてしまったことも多々あります。今は、語弊がありますがちょっとはったりをかましてでも患者の安心感を優先させるすべを身につけた気がします。ま、外来は基本的に患者さんが自分の病気を治したいという切実な思いで来られているので誠意をもって対応していれば何回もフォローしているうちに自然に信頼関係もできてきますしね。
 逆に国試で詰め込んだ他科の知識は抜け落ちてしまっています(T-T) 3年目になってからはサーフロー留置なんか基本的な手技もやることがほとんどなくなってしまったので、病棟の看護師さんにお願いして、サーフロー留置や採血があれば率先してやらせてもらっています。難易度の高い患者さんが多いためその意欲の割にはよく失敗していますが汗
 それから肝心の専門医としての能力ですが、これは当院では幸か不幸か専攻医に対する負荷が小さいため他院の専攻医と比べると成長が小さいことは間違いないです。それをどう捉えるか、なんですが、もし自分が若ければ同期と比較して自分の成長が遅いことを恥じていたし焦っていたと思います。でも今の私は別に他人と比べなくてもいいのかな、とあまり焦燥感もありません。勤務がゆったりな分プライベートな時間を楽しむ余裕もあり、それも悪くありません。少なくなってきた人生の残り時間、配分が大事です。おっさんになって再受験して医者になったのでそもそも元々の同期からは一回り以上遅れているわけですよ。その間に記憶力も落ちてきて、自分ではあまり分からないけどテキパキも動けなくなってきているようなので、成長のペースが若い頃とは違うわけです。そんな状態で1年くらい成長が遅れても別に誤差の範囲ですよ笑 私個人的にはおっさん研修医は無理しないで初期研修も3年くらいかけてじっくり回り、専門医研修も別に3年にこだわらずのんびり自分のペースで成長していけば良いのではないかと思うようになりました。もう叶わないことですが実はもう一度初期研修のように色々な科を回りたいなと思っているんです。今回れば当時より深い学びがあると確信します。心臓血管外科とか、将来携わることが絶対にないような科も回りたいですね。自分の何かに役に立つから、とかそういった打算抜きで純粋に回って勉強したいです。あまり希望者はいないと思いますが、初期研修3年または4年コースの新設はいかがでしょうか。早く成長した方が良いのかもしれませんけどねぇ。先週、病棟でカラオケがあったとき患者さんたちにせがまれてSMAPの「世界に一つだけの花」を歌ったのですが、その歌詞通りです。ナンバーワンにならなくていい、オンリーワンになればいい、私もそう思います。
 ちなみに私はここ数年カラオケには行った記憶がなくて歌も下手くそなんですが、一人の患者さんが私と一緒に歌えて本当に嬉しかったとの涙を流して喜んでくれました。医師という仮面をかぶっていると、当然ですが患者さんは私をお医者さんと認識してくれます。私はしがないおっさんなのですが、お医者さんと一緒に歌を歌えたという何か特別な体験をしたかのように錯覚するようです笑 精神科あるあるかもしれませんが、病棟に行くと患者さんが数名わらわらと寄ってきて私に握手を求めてくるのですが、ちょっとしたヒーロー気分になれます笑 ディズニーランドにいるミッキーについても同じ感じじゃないですか。世の女子高生たちはディズニーランドという特別な場で錯覚を起こし、ミッキーを見つければ抱きついて喜んでいますが、よく考えてみてください。中身はただのおっさんかもしれないですよ笑



2022年02月06日18:39メシの種
 前回は新年早々のろけて失礼いたしました。
 もう40日くらい連続になるでしょうか、あれからも毎日短い時間でも必ず会っています。昔は数ヶ月に1回しか彼女に会わなくても平気だったんですけどね、自分がそんなにハマるタイプだったのかと新しい自分を再発見した驚きとともに、自分が恋愛における依存症の類いの病気にかかってるんじゃないかと思いますね(;゚ロ゚) えーと私も一応精神科医ですから自分に異常性がないか客観的に経過フォローしていきましょう。しかし医師国家試験前にこんなんにならなくて良かった(..;) 国試前に今の彼女と出会っていたら、毎日楽しかったかも知れないけどその代償として国試には間違いなく落ちていたことでしょう(^0^;)

 さて私は研修医1年目のときはかろうじてコロナの前でしたから、産業医の集中講習がまだ行われていたので有休取って産業医の資格を取りました(2019/8/31、9/29記事参照)。それを活用しないまま既に2年が経過していたんですが、ついに産業医の案件がやってきました。産業医のお仕事は人気なのか医師の求人紹介サイトを検索してもなかなか見つけられなかったのですが、つい先日先輩医師から自分はもう辞めたい案件があるから引き継がないかと突然言われ、産業医の経験がまったくないので戸惑いましたが、引き受けることにしました。不思議なことですが、ずっと探していたもののはずなのにいざ見つかると戸惑うものですね。やりたいけど自分がやれるものなのかという不安がやっぱり大きいからでしょう。今回の案件は数百人が働いている工場の産業医で、教科書に例として載ってそうな典型的な産業医っていう感じです。早速見学に行きましたがバカでかい敷地にいくつか工場があり、その中でもいくつも部門が分かれており、それぞれ色んな部品や器械(見てもそれが何なのか素人には分かりません)を作っていて、私も一応物理系の大学卒なのですが業務の物理的な説明をされてもちんぷんかんぷんでした(T-T) ただ実際の仕事内容はとりあえず私にはかなり過酷に思えました。24時間体制で3交代で勤務しているのでそれだけでも生活が不規則になって大変と思うのですが、ゴミが混じらないようにするため簡単な作りではありますが防護服みたいな窮屈な作業服を着て、耳も覆うような大きな帽子をかぶり、ラインで流れてくる部品を一つ一つひたすら組み立てていくわけです。その同じ作業を何時間も延々と行います。1日が終わってもまた明日同じ作業をしますし、明日が終わっても明後日、しあさって…と何年も同じことをするわけです。人間、ロボットじゃないんだからこれは面白味もないしすぐ飽きると思うのですが、そこの労働者の方に話を聞くと確かにそういうのもあるし配置転換の希望も出せるけど、また一から仕事を覚え直さないといけないことを考えると同じ部署で同じ仕事をしている方がマシということでした。
 人にはそれぞれ幸せの価値観が違うのでなんとも言えませんが、一つの工場のある一つのラインに流れてくる部品を組み立てるという同じことをひたすら繰り返していくことにそんな大きなやりがいを感じられるのでしょうか。実際は労働者の方々はやりがいというよりも自分の人生の時間を切り売りするような形で1日8時間と割り切って収入を得て生活を成り立たせているのでしょう。休憩時間以外同僚とそんなにお喋りをすることもできないし、仕事の対象が「モノ」ですから、人と関わる仕事が好きな私にはこのお仕事は無理です。しかしこんな片田舎にすらこういった工場がいっぱいありますから、日本中、あるいは世界中で工場勤務に従事している人はごまんとおられるでしょう。その方々のおかげで何らかの製品ができあがり私たちが快適な生活をおくれているわけで、感謝しなきゃなぁという気持ちが芽生えましたよ。
 そういえば彼女の弟も高校卒業後すぐ同じような工場で働いているのですが、若いのに仕事の愚痴や辞めたいなどとも言わないで毎日ちゃんと働いてるから偉いですよ。そりゃあ仕事以外の時間は彼女といっぱいラブラブしてもよろしい。彼女とラブラブしたから仕事も頑張れる、仕事ちゃんと頑張ったから彼女とラブラブできる、そういった好循環が生じているようです。弟はそんな生活をもう1年ほど延々と過ごしているようですが、前回も書きましたが私は最近、人生そんな単純な毎日でもいいんじゃないかと思うようになりました。やれ生きがいとかやりがいとか言うけど、そんなにそこらじゅうに転がっているものでもないのかもしれません。社会学者の上野千鶴子さんも著書の中で「仕事は天命でもなければ生きがいでもなく、メシの種」と書いています。
 産業医は社会を俯瞰的に眺めることができて医学とは別の良い勉強になりそうです。



2022年01月06日20:132022迎春
 新年あけましておめでとうございます。

 年末年始は彼女の実家に入り浸って食っちゃ寝食っちゃ寝の毎日でした笑 実は今回が初めての訪問だったのですが1泊もう1泊と、気づいたら3泊も居着いてしまいました。

 過去を振り返ると医学部受験生や医学生の時はこの時期はテスト前だったので帰省どころではなく勉強三昧でしたし、研修医になってからも当直が当たってたり雪があったりと結局実家に帰らずじまいでしたので、家庭の温もりを感じながら過ごす久々の(医学部受験3年+医学部6年+研修2年で12年ぶりの)まったりとした時間でした。
 彼女の実家は典型的な田舎の大家族という感じで、おじいちゃんおばあちゃんやご両親、弟、弟と半同棲してる彼女、犬、猫などがいてホントにぎやかな家庭でした。お寿司を頼むときも10人前とか一気に頼んだりと買い物も豪快で楽しかったです。その一方、私がおっさんのせいで彼女との年の差が20歳ほどあり、違和感もありました。まずお母さんとの年齢が近いです笑  かろうじてお母さんの方が年上ですが5つくらいしか離れてません。第三者から見たら彼女とではなくお母さんとつきあう方がお似合いでしょう笑 弟や弟の彼女なんかまだ10代ですからね、弟の彼女のお母さんより年上で、そんなおっさんが自分のお姉ちゃんの彼氏とかどんな感じなんでしょうか。そんな若いご両親や若者たちに囲まれて私も一緒にこたつに入りながら、自分はかなり場違いなところにいるんじゃないかと冷や汗かきました。彼女も私みたいなおっさんのことを恥ずかしげもなく「私の彼氏―!」などと紹介してくれるので私の方がとても恥ずかしかったです(〃ノωノ) でも家族みんなでお笑い芸人のテレビ見ながら笑い合う時間は楽しかったなぁ(^o^) 私はそんなささやかな楽しさをも犠牲にして今まで生きてきたんだなあとしみじみしました。お風呂も1人1人が順番に入ってたら時間がないので2人ずつで入ってたんですが、さすがに私は彼女の初実家で普通に一緒に入るわけにはいかないと、またそもそも誰かと一緒にお風呂に入るということ自体恥ずかしいと思う年頃ですから1人で入ろうと思っていたんですが、彼女が「お風呂一緒に入ろうね!」と平然と言うもんですから恥ずかしくてもう訳が分からんかったですよ(〃ノωノ) 娘みたいな若い子と一緒にお風呂に入ったことは近年の我が人生の記憶にございませんし、おっさんを引き連れてお風呂場に向かう娘に対してご両親は一体何と思われてるのかなと罪悪感を感じました汗 もうね、いやらしさなんて何もなかったです。無事にお風呂に一緒に入るというミッションをクリアしただけです。ただその後お父さんお母さんも2人で一緒にお風呂に入ってて、笑い合う声も外まで聞こえててほほえましかったですね。家族の中だといやらしいように見えることもいやらしくなくなるから不思議です。こんな幸せな時間をくれる彼女には感謝しかありません。

 今までが医学部に受かるためとか、進級するためとか、神経張り詰めて必死になる時間が多かったので、こんなにまったりしているといまだにそわそわ感を感じてしまいますが、医者になるという夢を叶えてからは命を削ってまで頑張ることがなくなってしまって、たまに自分は何のために生きているのかとふと自問することがあります。そりゃ患者さんを救うため、ではあるんですが私は聖人君子ではありませんのでそれだけを生き甲斐にして生きていくことはできません。先日看護師さんたちとも話してたんですが、もし家族が突然死んでしまったら、働く意味がなくなると皆さん口を揃えて言ってました。患者に意味の分からん罵声を浴びせられたり、散乱した汚物を処理させられたりすることもあるし、シフトは不規則だしと、仕事はしんどいことが多いけど、それは家族という生きがいがあってこそやっていけると。私も今回の彼女の実家訪問で、幸せとは何かを教えられた気がします。家族みんなで仲良く笑い合って過ごす毎日。それ以上の幸せがあるんでしょうか。今こんな幸せを味わえているのも過去の自分が頑張ってくれて医者になれたからかな。医者じゃないただのおっさんだったらこんな良い子とはご縁がなかったと思います。医者だとご両親からの信用も得やすいし医者最高です。私は今までは「頑張り続けることが大事」「辛いことを経験するほど人生を豊かにする」などとドS(ドM?)な思想を持ち合わせていましたが、こんな家庭にいれるなら頑張らない人生でもいいです。彼女の家族はみんな高卒で(彼女は看護の専門学校には行ってますが)誰も大学には行ってません。私なんか幼少時より気づいたら受験勉強ロードを生かされてて、今は苦しくてもその先には幸せが待っていると思って勉強頑張ってましたが学歴と幸せはあまり関係ないんですね。私、その事実を本当の意味で初めて思い知りました。



2021年12月12日13:23211212
 今日は2021年12月12日です。こんなに1と2が並ぶ日は何かの記念日になりそうですね。
 1週間ほど前から決めていたのですがこんな日に私は1つの結論を出しました。悩みましたが来年度も今の精神科専門医プログラムに残ることにしました。実家近くの大学の総合診療科への転科を99%決めていて、現勤務先にもその旨伝えてしまっていたのですが、彼女との出会いが私の進路を変えました。今優先すべきはこちらだと判断しました。親にも相談しましたが、こちらにはいつでも戻ってこれるから今そちらでできることを頑張りなさいと。
 ただ来年度は今の病院ではなく専門医プログラムの連携施設となっている総合病院で研修することにしました。総合病院の精神科です。リエゾンを学ぶという大義名分で行きますが、知ってる先生も何人かいる病院ですし内科や救急をちゃっかり勉強しようと思っています。やっぱ出身大学の近くだと人脈という点では圧倒的に便利ですね。今の病院にも私の外来患者がいるので週1日は戻ってきて外来は継続する方針ですので週4日勤務となりそうです。
 転科はとりあえず1年延期の予定ですが2年もいたらあと1年で専門医研修も終わるので2年延期になるかもしれないし、結婚して子どもができたりしたらそのままずるずると居着いてしまいそうですが、それも人生なのかもしれません。まぁそれ自体はいいんですが、今住んでるところがそ~と~のど田舎ですのでこの田舎生活に耐えられるかどうか。田舎暮らしが良いと言ってる人もいますが、真の田舎は都会人の想像を超えてますよ笑
 私は1回目の大学が東北大学だったので仙台に、就職してからは神戸に、思いがけず海外転勤がありロンドンに、と今までそれぞれ適度な都会に長いこと住んできたため、田舎では何か物足りないです~。特に神戸は良かったなぁ。都会でありながら太い幹線道路がきちんと整備されてて車移動でもストレスフリーでしたからね。住民たちの関西弁もかっこよかったし笑
 医学部再受験の頃から医者になるまで約10年も人生を費やしてしまったので、医者になったはいいものの気づけば人生残り半分です。健康寿命という意味では半分も残っていません。今までの人生で積み重ねてきた色んなことを捨て去り、そこまでの時間を使ってまで医者になった方が良かったのか今もなお分かりませんが、過去のことをぐじぐじ言うのすら時間の無駄ですので、そういう思考はやめて未来のことを考えるようにしてせめてやぶ医者と言われないお医者さんになろうと思います。仕事もプライベートも健康も…3つも同時に満ち足りて過ごせる時間は他の人より長くはありませんが、そんな幸せが少しでも長く続くことを祈るばかりです。



2021年11月14日12:14早い冬、遅い春
 急に寒くなりましたね。急に季節が変わると既に年末に近いことにびっくりさせられます。2021年がもう1年経つかぁ。1年前の今頃は研修医時代。2回目の循環器内科を回っていた頃かなぁ、でもコロナのせいか患者さんマジ少なかったなぁ、とか懐かしいです。1年間経って自分は成長できてるかなぁ。

 先日精神科の単科病院である当院で若い患者さんが急変することがありました。そういう方はたいていDNARなんですがその方は若かったので全力で救命です。看護師さんたちが心マしながら主治医に連絡を取ったんですが初期対応ができず、なぜか私のピッチに連絡があったため駆けつけました。脈は触れましたが自発呼吸なく私は挿管が必要と判断しすぐに挿管。駆けつけた救急隊にバトンタッチし三次救急の病院に運ばれていきました。この患者さん、anorexiaでBMIなんと10未満の方でした。そんな人が普通に生きてたのがすごいですが、当院ではなく内科で管理していた方が良かったのではないかと思いましたね。振り返ってみると救急隊が来るまで10分くらいのあっという間だったのですけれども、医者は私一人でしたので自分が指揮をとり各方面に指示を出しながら一通りのことをやり終えて、普段はそんな緊迫する状況がないので自覚しませんが、身体が先に動いて、あ、自分も医者やってるなと笑。あの場面を目の当たりにして逃げるという選択肢はなかったですからね、なんとか面目は保てました。反省点としてはこの患者さんのことを知らなかったとはいえ、原因検索も同時に考えながらやれていたらなと思いました。
 さて来年度については院長に専門医プログラム中断の相談をしたところあっさりOKの返事をもらいました。そんなにあっさり認められるとそれはそれで寂しいので少しは引き留めて欲しいんですが…笑 ということで来年度総合診療科で幅広く勉強をしようかと動き出したところなんですが、人生とはなかなか色んな想定外のことが起こりますね。最近、自分みたいなおっさんにアプローチしてくれた看護師さんがいまして、寒い季節なのに私の中には遅い春が来ています笑(^o^)。実は私もその子のことをよく働いて笑顔(常にマスクしてるので目だけですが笑)の可愛い良い子だなと前から思ってはいたのですが、あまりに年が離れているため恋愛対象としては見ておらず、言われたときはびっくりしました。下手したら娘というくらい年が離れてますのでね、ホントに自分みたいなおっさんでいいのか何回も確認したんですが、それでもいいと。元から好印象だったので後はとんとん拍子です。しかし2年ほど前から始めてるお見合いではなかなかうまくいかなかったのは、お見合いは顔や年齢、収入といった表面上のデータで選別してるからでしょうか。
 そういう事情もあって将来結婚とかいうことになれば奥さんの実家の近くに居た方がいいのかなとか、私は結婚経験ないのであまり分からないですが、進路を考えるときはそういうのも合わせて考えたりするじゃないですか。一方では自分の医師としてのキャリア形成も大事なので舵取りが難しいところです。既に来年度の専攻医募集の1次募集は始まっているのですが、ここはとりあえずスルーして12月からの2次募集か、それでも時間がなさすぎるので年明けの最終調整期間まで引きずりそうです。俺ホントどうなるのかなぁ。


2021年10月17日20:30寝当直、OD
 今夜は当直です。今日は寝当直かなー。どうせ呼ばれても1,2件だし…、と寝当直というものにやや飽きてきた今日この頃です。こんな日は用もないのに病棟に行って夜勤の看護師さん達とお喋りして過ごします笑 当院は力仕事が多いせいか看護師さんの男女比が半々くらいで、別にギャルたちとお喋りしているわけではないですよ(^^;) しかし人間というのはないものねだりですね。研修医時代の一睡も寝れない日の当直は、それはもうしんどかったので、寝当直というものに憧れもあったはずですが、寝当直を経験している身としては、自分の勉強にはならないので自分の時間を切り売りしてお金をもらうためだけに病院にいるような感覚です。おっさんと言えども医師3年目でこんな楽なことばかりしていたらやぶ医者一直線ですのでもうちょっとは荒波にもまれたいんですね~。ん~わがままだけど適度にしんどい、というのがいいです。まぁ寝当直だと当直がある週でも体力は十分温存できますから週末はコロナワクチンのバイトに精を出していますが笑

 さてこの辺りでは当院が一番大きい精神科病院で精神科救急もやってますから、これは精神科だと判断された患者を救急隊はとりあえずここでしょと当院に搬送してきます(受付の人が受け入れを勝手に判断して当直医に連絡してくるのでそのときには既に拒否しにくい状態です)。しかし過量服薬の場合、まず精神科の病院に搬送するべきかどうかは考えどころですね。前回は過量服薬の患者が運ばれてきましたが、そういう患者を当院に運んできたところで、もし内視鏡や胃洗浄が必要となっても施行できないし、夜間はその部署が閉まっているため血液検査もCT撮影も施行できません。受け入れが嫌とかそういうことではなくまずは一般病院の救急に運んだ方がいいと思います。過量服薬に至った経緯など話を聞くのはまずは身体面の評価をして適切な対応をしてからでいいですね。実際、前回の症例は搬送されても吐き気がひどくて話にならなかったし、検査も施行できないまま脱水だろう、wash outも必要だろうと点滴だけしてあとは経過観察でした。幸い、飲んだ薬の種類と量が問題なさそうでしたので前回はそれでよかったのかもしれませんが、まずは受け入れの前段階で当直医に相談してほしいですね。


2021年09月08日22:45特需
 コロナの影響でマスクが品薄になったり、飲食店のお客さんの出入りが少なくなったり、大人数でのイベントがことごとく中止になったり、生活の色んなところで難題や不便さを突きつけられていますね。 
 医療現場ではどうか…、私もよく聞かれるのですが当院では特に変わりないですね。精神科の特性でしょうか、それとも地域性でしょうか、患者が増えるとか、逆に軽症だから受診を控えるとかそういったことはなく、早くコロナが収束しないかなぁと思いながら淡々と日々の診療を進めています。患者さんのご家族の面会制限とかそういった影響はありますけどね。ただコロナ感染症の最前線にたつ病院は想像を絶する忙しさでしょう。その病院がどれだけ大変なのか、同じ医者の私にも分かりません。 
 さて小さい飲食店だったら営業休みにして協力金をもらう方が普段の利益よりも多いとか、そんなラッキー(?)な話も聞きますが、そんな感じでコロナ特需と言えるようなことも起こっています。私も特需というか、医師会や近隣企業からの要請でコロナワクチンの市の集団接種や職域接種をお願いされることが多くなりました。当院では上の先生方はそういうのにあまり行きたがらないので私たち末端がその役を担っているのですが、さばききれないくらい依頼が来ます。全部引き受けたら土日はほぼ埋まります汗。うちの病院は可能な限り協力する姿勢を見せていますので、平日の勤務時間中も通常職務を免除してもらって出かけたりします。それは日直のアルバイトのような感じになるのですが、まぁその単価の高いこと。当院の日直の2~3倍くらいの相場です。国が出してくれている事業だからでしょうか。時給が高いところはコンビニバイトの30倍くらいもあるので彼らが3日間一生懸命働いて手に入れる額が1時間で手に入ります。毎週土日に入るとそれだけで通常月の月給をこえます。アナフィラキシーショックの対応なんかも業務に含まれるのですが実際はそういう事態はほとんどなく、予防接種の問診をひたすらやっていて、それはそれで飽きるのですがその給料を提示されると断らない理由もありませんね(^^;) 会場の誘導係など他のスタッフも臨時で日雇いでしょうけど、おそらくコンビニのバイトよりはかなり高いと思います。フリーターの人たちは今はコロナ特需でいいかもしれませんね。特にフリーター医師はあの時給で平日も従事できるわけですから、すごい額になると思います。ただ先月末に届いた給与明細を見て、ちょっとびっくりしました。総額から4割も税金が引かれてました泣。他の先生もこれはおかしいんじゃないかと問い合わせたみたいですがやはり間違っていないと。単価は高いけど、そりゃ税金も高くなるかぁ泣。



2021年08月15日12:48夏草
 今日も日当直中です。24時間ぼっちは辛いです。どうせたいしたコールはないんだから近くまでの外出OKにしてくれたらいいのに…(こらこら)。
 思った以上に感動したオリンピックも終わりまして、そろそろ夏の終わりの始まりを感じています。「夏草や 兵どもが 夢の跡」ですかね。オリンピックにはボランティア医師がたくさん参加されたとのことですが、こんな感動が得られるなら私も参加してその躍動を身近に感じたかったです。お金という対価がなくても参加された医師の方々の気持ちが分かりました。精神科も患者さんはだいぶ高齢化してますから、おじいちゃん、おばあちゃんばかり相手にしていると、オリンピックで身体能力を極限まで高め、一つのスポーツを極めた若い人たちと関われることは非常に羨ましく思います。実際には面白い、楽しいことばかりではないでしょうから、「隣の芝が青く見えている」のでしょうけど。
 今当直しているこの病院は高齢慢性期の患者さんが多く、その医療のために大量の医療資源(物品や薬や労働力)とお金が日々費やされています。働いているたくさんの若い人たちは汗水垂らして高齢者を看護・介護をし、それでお給料を得て生計を営んでいる構図ですが、残念ながら高齢慢性期の患者さんたち、回復する見込みがほとんどありません。懸命の看護虚しく、亡くなっていく方が多いです。つまり先ほど述べた医療資源やお金が、患者さんの社会復帰後の社会貢献という意味では生産性のない形で終わってしまう事が多く、だからといって命を見捨ててよいことにはならないし、でも医療資源が無限にあるわけでもないし、…ジレンマを抱えています。当院では胃瘻造設する方も多く、それを否定するわけではないですが、本人がそこまで望んでいないのであればケアが少し手厚すぎるかもしれません。さっき回診に行きましたら、やむを得ず拘束しているある患者さんから「先生、殺してください」と何度もお願いされました。ケアが手厚くてもなお苦しんでおられるんですね。手厚くすれば延命はできるでしょうが、当の本人がそこまでを望んでいないのです。
 私はただぼっちで24時間ここに居るのが辛いだけではなく、そういった患者さんたちを直視するのが辛いです。自分が医師に向いていないのか、までは分かりませんが、ここの病院で勤務することには向いていません。やっぱり病院は患者さんには「先生、助けてください」とお願いされて、それに応える形で懸命に治療をする、という形があるべきでしょう。4月からずっと、こうあるべきではないと思うことが続き、私自身の環境調整を考えています。精神科という領域への興味がなくなった訳ではありませんが、一旦ここから離れて修行したいと考えています。来年度から変わるなら決断まであまり時間はありません。実は今月くらいから水面下で動いているのですが、数ヶ月後の自分が悩んだ結果どういう判断を下しているか、楽しみにしています。自分を応援しています。



2021年07月18日16:45粗相
 単科の精神科病院だと当然と言うべきか、当院でも精神科の医師が圧倒的に多く、あと神経内科の医師がちらほらいる程度です。しかし入院している患者さんはたくさんいますから、精神症状以外の訴えも多岐に及びます。お腹が痛い、足が痛い、ここに皮疹ができた、痒い、転倒した、などなど。そう訴えられると必要なのは総合診療的な身体の基本的な診察能力です。3年目といってももう1人当直もしますから急変時の対応も必須です。DNARの方が多いとは言え、ABCの管理はできなくてはいけません。現状は内科疾患を誰かに相談できる環境ではないので非常に困っています。おじいちゃんドクター達に相談しても特にアドバイスはなく、経験的に対応してるみたいですね。仕方なく他院に紹介しようとすると、そんなことで紹介すんなと言われますし、じゃあ痛みを訴えてるこの患者はどうするんだよー(`Д´)。アンダートリアージよりオーバートリアージの方がいいでしょうが。私自身も他人に頼っていないで総合診療的な診察能力をもった精神科医を目指すべきでしょう。ただ私の近くにはそのようなロールモデルとなる精神科医はいません。そこで今の勤務先と交渉しまして、週1回総合病院へ内科の研修に行かせてもらうことになりました。専門医プログラムというのはよく調べましたら週4日32時間以上勤務していないと研修としてみなされないようで、逆に言えば週5日週40時間働いてなくてもいいんですね。よかったー、私みたいないたいけな研修医上がりの医者がここにどっぷり浸かるのは心と身体にあまりよくありません。

 総合病院では総合内科で週1回、朝のカンファから参加し、病棟回診や外来見学と結構自由に勉強させてもらっています。定時上がりが当たり前になっているような私も珍しく意欲を駆り立てられまして、先日、事前にカルテチェックして予習しておこうと夜間に総合病院への侵入を試みたんです。何の前知識もないままカンファに出てもよく分かりませんしね。ただその病院、敷地は広いし建物もバカでかくてですね、暑いからか、おっさんだからか、敷地内を歩くだけで疲れます。ところが…、夜間はセキュリティ万全でどこの入り口も鍵かかってました(当たり前か)。テンキーがあるので番号入力すれば解錠できそうですが、暗証番号知りません汗。こりゃしまったなと思って病院の建物を半周ほどしたその頃からです、突如下腹部痛が襲ってきたのは。ん?こんなときにまさかのう○こ?いやいやさっきまでやったらいつでも行けたやん?なんでなんで?と自分自身に怒り心頭になりますが排便信号の強度は増すばかり。困ったなぁ(>_<)そういえばさっきからおしっこも我慢してたんですよ。もうすぐ病院に着くからいいやと。しかし体内の色んな警告が発令される中、焦れば焦るほど建物の入り口も見つけられず、本丸の建物を見捨てて別の建物に行っても空いておらず。夜だし誰も歩いてもいません。人間って心理的にだいぶ左右されるんですね。例えばあと100メートル先にトイレがあることを知っていたとしましょう。そうすると人間はそこまで行けば出せるからと自分に言い聞かせてそこまではなんとか心理的に排便痛を我慢できるんですよ、たぶん。しかし知らない場所で、トイレがどこにあるかも想像もできないとき、つまり数分以内に安心して排便できるという見通しが立てられないとき、絶望感により便意は我慢の限界点を超えてしまうんですね。あのときは絶望と言う言葉がぴったりでした。その辺はもうあまり記憶がないのですが、ああ、自分は今からここで果ててしまうんだなと。結局近くの手頃な草むらの中で野糞しましたよ泣 あーあ、こんなこと何十年ぶりかなぁ、いや記憶にないわ。さっさと立ち去りたいところでしたがその後も暗闇の中で私はしばらく放心状態でした。次はこんな失敗はしたくないので検証しときたいのですが、今回の敗因は何だったんでしょうか。車で道路を走っていればコンビニもあるし、昼間だったらお店も開いてます。でも夜に、セキュリティの高いよく知らない病院という広い敷地に迷い込んだのが運の尽きでしたかね。今回の場合は被害者はわたくしおっさんで、特にもう恥も外聞もあまりないのでまだ良かったのですが、外聞を気にする教授であるとか、若いぴちぴちギャルであるとか、そういった人種の方々であったらこのような時どう対処したのでしょうか。高尚な教授が野糞してるシーンなど想像すらできないのですが…。

 本日後半は医学にすらまったく関係ないお話で失礼致しました。



2021年06月01日01:00闇病み子

 本日(5/31AM11:00)は関連の施設で日直です。

 それにしても良い天気です。暑くもなく寒くもなく花粉もなく、今が1年で1番良い季節じゃないでしょうか。こんなに良い天気だと活動性の低下したおっさんの私もことあるたびに病院の屋上に出て、遠い景色を眺めながらよくある医療ドラマの俳優になったような気分に浸っています笑 ↓屋上からの写真です。

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 え?日直の仕事中なのにブログ書いてるのかって?

 そうです。この業界には寝当直という言葉がありますがその日直版です。1日で多くても23回電話がかかってくるかどうかです。といってもこんな良い天気の真っ昼間にばっちり目の覚めた状態で寝ることもできませんから、当直室という個室に閉じ込められて外出することもできずぼっちでこうやってブログを書いたりネットサーフィンしながら過ごしています(さみしい…)。

 

 日直をすると精神科の闇が見えてきます。

 まずナースがやばいです。はっきり言って医者もですが苦笑。

 基本的な医学知識がありません。おそらく脈拍のことを「プルスが〜」と言い出すし、不整脈の既往はあるか聞きましたら突然橈骨動脈を触り出して、「ありません」と答えるし(そんなんで分かるかいな)、「虚血性心不全の既往はなさそうです」とか、そういったもはやコントと言えるものには枚挙にいとまがなく、いちいち腹が立ちます。

 そもそもコンサルでかかってくる電話の主旨もよく分からなくて、「○○さんの件ですが、昨日からこんな様子で〜ご飯はあんまり食べれてなくて〜でも本人は食べたくないわけでもないみたいで〜、血圧は〜、プルスは〜…」と延々と続きますので仕方がないので「んで、ご用件は?」と遮って聞きましても「いや朝ごはんは食べさせていいのかなと思いまして…」などと仰います。じゃあ「食べされられないのではないかと思った根拠は何でしょうか?」を聞いても口をつぐみます。「今回のことに限らず、用件も分からない状態でそんなに長く矢継ぎ早に話されても私も分かりませんから先に聞きたい用件を言ってから状況を教えてもらえますか?そうするとそういう観点で状況を聞きますから。」と言ってみましたが、通じないですね。先生、私はこんなに一生懸命状況を伝えてるんですよぉ?と言わんばかりでしたね。

 こんなんで他の先生はどうしてるのか・・・、適当にあしらってるみたいですね。終末期だからでしょうかね。発熱があれば解熱剤、ちょっとひどそうであれば抗生剤を適当に、って感じです。熱源検索とかありませんからね、ホントびっくりです。てか、エコー当てたり心電図1つ取るのも大変なんですよ。看護師が慣れてなさすぎて、はぁ?心電図ですかぁ?遠くから持ってきてもらわないといけないから時間かかりますよぉ?とかエコーなんてどこにしまってあるのか分かりませんねぇ、とか。いやいや胸痛訴えとるんやからすぐ取ってあげてよ。時間かけてる場合じゃないで、オバはんナースよ。

 また仮に抗生剤(点滴)入れようとしても種類が少ないし、その割には見たことないのばっかりなんですよ。トブラシン:アミノグリコシド系とか、スルペラゾン:セフェム系にβラクタマーゼ阻害薬配合したのとか、パンスポリン:第二世代セフェムとか。あとはめっちゃ広域のしかないんで、もう笑っちゃいます。セフトリアキソンとかセフメタゾールとかもっと普通の採用してよ。スルペラゾンとかトブラシンってどんな時に使うの?パンスポリンは経口移行時はどうするの?誰か教えてください(岩田健太郎先生はスルペラゾンはほとんど使わないみたいです。トブラシンは緑膿菌に使えるみたいです)。

 

 先ほどはナースから電話がかかってきて点滴の刺入部が腫れてますのでとにかく来てください、ってことでしたので見に行きました。PICC留置されてましたので「あぁPICCか。」と呟きましたら「ぴっく??」とナースがきょとんとしています。PICCという単語も知らないし、もちろんその患者さんがいつどこでPICC留置したとかそういうことも把握していません。「先生これね、こうやって点滴繋いで栄養入れるやつなんですよぉ〜。」とご丁寧に説明してくれましたけど、本当にこいつらナースかと思いますね。

 

 今回もまた毒を吐きまくってしまいましたが、私の心の中にはそろそろ焦燥感というものが出現してきております。このままだと私もヤブ医者へ一直線です。お給料は貰えるからとはいえ、おっさんとは言え、この現状で満足するのにはさすがにまだ早すぎるでしょう。ちょっと私も善後策を練りたいと思います。

 



2021年05月08日11:55ストレス源
 ストレスがたまる当院の問題点。
1.タイムスケジュールがずぼらすぎる
2.いまだに院内ではポケベルの使用が主流
3.電子カルテが使いづらい
4.4年目5年目といった年次の近い先輩医師がいない

1.朝のミーティングが毎日始業後の8時50分に設定されている(本来は恐らく5分程度でさっさと済ませて9時からの外来に備える)のですが、まず時間通りに始まりません。時間通りに行ってもちょろっとしか人が集まっていないので、時間がもったいないとそれじゃもう2,3分後に来ようかとなります。その後ぽつぽつと人が集まり始めますが、みんな待つのは嫌なのでなるべく人が集まってから来るようになってますが、これが悪循環の始まりですね。人がいない→後で来る→そんな人ばかりなのでまだ集まってない→もっと後で来る…。院長も来る時間が気まぐれなので、ここはやはり時間を守るという姿勢を院長からしっかり見せて欲しいところです。ミーティング開始が遅れても特に進行が早まることもありません。はっきり言ってしょーもない話が続き、だらだらと長くなります。時には10時近くまで長引くときもありまして、もう外来の待合室は一体どうなっているのかと。私は新任者ですのであまり波風立てずおとなしくしときたいのですが、我慢ができずにあるとき「患者さんが待ってるので…」と抜けようとしましたら、な・なんと「待たせとけばいいですよ」との返答が!このしょーもないミーティングに居なさいと。はぁ?それはあかんでしょ~。基本的には患者さんファーストであるべきだと思いますし、日常的に約束の時間を守れないなら病院の信用問題にも関わってきます。結局朝のミーティングがその日のスケジュール崩壊の発端となります。外来診察開始も終了も遅れ、お昼休憩がなくなって時にはお昼ご飯も食べそびれ、精神的にも余裕がなくなっていきます。カンファなんかも長引いて予定時間をオーバーすることが多く、スケジュールなんてあってないようなものです。本来そんなに忙しい病院ではないはずですが、実際には朝のミーティング以降ずっと慌ただしく動かざるを得ません。俺はなんでいつもこんなに時間に追われ続けているんだろうと思いながら働いています。私は特に典型的なA型人間ですのできちんとスケジュール通り動きたい派なんですよね。
 
2.なんとこの令和の時代、ポケベルが現役です笑 私が大学生の時始めて持った通信機器でもPHSなので、ポケベルなんておっさんの私でも使ったことないですね~。なぜ病院のスタッフが普通はそれぞれピッチを持っているかというと、いつでもすぐに連絡を取る必要があるからですよね。しかしポケベルはそうは行きません。確かにいつ鳴らしてもいいのですが、ポケベルは固定電話からしかかけれないのでまずは固定電話のある最寄りの場所まで行かなくてはいけません。ポケベルで相手を呼び出すと相手がその固定電話まで折り返しかけてくれますが、私はすぐに話をしたいんですよ。1,2分その場で相手がかけ直してくれるのを待っていないといけないし、ストレスフルです。若い世代は(というか私も含めて大抵の人は)全員ピッチにして欲しいと思っているはずですが、当院はおじいちゃん世代のドクターが非常に多いんですね。70代はゴロゴロいますし、80代もいます笑。その方は滑舌も悪くなっていてカンファでももはや何を言っているのか分からんレベルですが。そんなおじいちゃん世代は新しい機器の導入に対して腰が重いようです。んで昭和世代なので医者が医療従事者のピラミッドの頂点に立っているかのような(医者の中でも年数が上の方が神様のような)ヒエラルキーがありまして、他業種の人が意見を言えるような雰囲気ではありません。3年目の私でさえコメディカルのスタッフからかなり気を遣われまくっています。あ~、初期研修医時代の、看護師さんとふざけ合ってたあの頃が既に懐かしいなあ。てかポケベルサービス自体早く廃止にならんかな、ならんわな~(T-T)。

3.そろそろ記事が長くなってきたのでさらっといきます。これは慣れるしかないんですが医局に先生方が座ってることあまりないんで、すぐ近くに教えてくれる人もいないんですよ。たまに先輩を捕まえて尋ねますけど先輩方もその場しのぎでやってるようで、先輩でも分からないこと多しです。病院内でこれを使いこなせているドクターはいないんでしょうね。どうしてものときはポケベルで事務員さんをわざわざ呼びつけてお願いしますが、それでも分からないこともありますからね。カルテの使い方が解決できないまま業務をおこなっていくこともストレスフルです。

4.この観点から言えば大学病院などスタッフが豊富な病院が良かったかもしれません。ただし当県は精神科の専攻医自体が、県全体でもそれぞれの年でほんの数人しかいません。まぁ科によっては県全体でその年はゼロということもありますからまだマシかもしれません。そりゃこんなペースでは医師不足は改善せんよなぁ。


 こんな感じです。今回は毒を吐くだけの記事になってしまいましたが、今後はもう少し建設的なものを用意して行けたらと思います。